東京フレンドパーク見てて
ちいろちゃん、み~っけ。
今日は、私がファンクラブで当てたチケットの日です。全く当たらない気がしていて、平日ならすこしは当たる確立が高いだろう、と思って平日に希望を出したんですが、当たってから、平日じゃ行かれないかも、、とおろおろしていたおばかな私でした。ともかく、気合を入れて、今日は、もう、ずいぶん前から会社で回りの人に、本日は早退の雰囲気をかもし出しておいたので、無事、開演に間に合うように会社を出ることができました。
さすがに平日だけあって、席は前から8番目くらいでした。今日が一番良く見える席なはずなのに、出てきた大野君を見てショック!この近さでもお顔のDetailが見えない。。ということでかなり至近距離なのにだいぶ望遠鏡で見ていました。
2回めだと、キモチとしては、だいぶあせりが減っていました。ともうしますか、今日、見て、前回はいかにいっぱいいっぱいで見ていたか、気づきました。
でも!席は前だったけど、大野君の声は、前回の席の方がずっと良く聞こえました。いえ、大野君は同じ声を出していると思うのですよ、それは、声のふちの方に感じられました。けれども、前回のような、ゾクっとするようなセクシーな声というほどのふくらみがないんです。これはね、きっと音響的な効果のせいだと思います。
それから、気負いが減ったからそう感じたのかもしれませんけれど、前半の大野君の殺陣のキレは今回の方が良かったと思いました。これは、それとも、近くで見ていたからかもしれません。
それにしても、こういった演劇にはこれまで縁が無かった私ですが、2回めともなると、ちょっくらキモチが大きくなり、大野君をもう少し客観的に見ていたと思います。いかに大野君が、「棒立ちになっていないか」(キダさんがパンフの中でそんなことを言ってます)を実感したり、おおきな舞台でどんなに身体全体で演じているか、殺陣のどんなところに自分が感心するのか、なんてことを考えながら見ていました。大野君、というか殺陣がなぜかっこいいか、は、なんとなくわかりました。いろいろあるけれど、日本刀を持った姿と言うのは絵になるのです。大野君は、本当にかっこよく刀を構えるところがあるのですよ。大野君は、全般的には、普段みせない機敏な動作なので、役に感情移入していられるのですが、ときどき、「あ、大野君だ~」という動き方が出て、おもわずにんやりしながら見ていました。
ま、大野君は客観的に見ていたんですが、ほとんど大野君だけを客観的にみていたので、まだまだ、冷静に劇を見たとは言いがたいですね。
次回は、私が苦労してぴあで取った30日です。
実は、ある方のご好意により、本日昼のアマツカゼを見ることができました。
以下、舞台の詳細は書かないと思いますが、ネタばれ厳禁の方は、読まないでくださいね。というか、舞台、演劇に関してはあまり造詣が深くないので、まったく、個人的な感想的なものですが。。。
私にとっての一番の印象は、「大野君、声がむっちゃ良い」ということでした。これは、始まって間も無く、「お、大野君、声出てるじゃん」と思ったことにはじまり、進むにつれて、完全に彼の声に惚れていましたね。というか、時々、その声に、ぞくっとするほど、色気を感じていました。
大野君、普段からちゃんと喋ってよぉ、って感じ。やっぱり、ちゃんと腹から声を出すと、良い声が出る人なんですね。それにしても、こんなに良い声だったとは。。。。
殺陣は、わたしは全く素人なので、良くわからないのですが、本人が言っているとおり、最初の頃は、戦っても勝てない殺陣なんですよ。だから、ちょっと、見ていて、あまり見どころが、よくわからなかったのです。嵐のコンサートを初めて見た時、「うわ、大野君やっぱダンス上手いわ!」と思ったのは、見ていて一人だけ動きのキレが違ったからなのですが、今回舞台の最初の方では、そこまで大野君の卓越した筋力を感じる部分はありませんでした。そうなんですわたしは、大野君のところだけ、くっきり浮き上がってくるような動きの差を期待していたのですが、そこまでではありませんでした。ところが、本当に最後の方で、凪が刀を捨てて不動に向かっていくところで、彼のジャンプ力と機敏さ、そして、最後の殺陣では、切り捨てていくその姿の美しさを見ることができました。ここは、今回の見どころだと思います。
殺陣はともかくとして、大野君の筋力は、時々発揮されていたと思います。私が、ちょっと感動したのは、ちょうど望遠鏡で大野君をアップで見ていた時、横になりながら話していた凪の上体が何かに吊り上げられるように、すっと起き上がった時でした。それは、何気ない、起き上がるシーンだったのですが、それほど綺麗に起き上がったのです。あれって、やっぱり、腹筋と背筋が強靭なんだと思います。それと、シーン全体がスローになるところ。そういう動きはかなり、筋力を必要とするでしょう。
あとは、とにかく、凪は、悲劇のヒーローでかっこよかったですよ。大野君は、舞台化粧がむっちゃ似合っていて、すごくハンサムだったし、表情はいつも険しく、いつもの大野君とは全く違っていました。一度だけ微笑むシーンがあるのですが、その時だけ、ふぅっと表情が柔らぐ、その瞬間も望遠鏡で捉えていましたよ、良かったです。というのも、私、結構ひどい乱視で、あれくらい暗いところだと、あんなに良い席(一階中央前寄り)でも表情はあまりよく見えないんですの。だから、望遠鏡を使わないとよくわからないんです。
いえ、舞台では細かい表情での演技は伝わらないとか言うんですけど、じつは私、人間の表情に関する認識能力はかなり高いと思っていて、あるていど見えている限りは、その表情が何を意味しているのかはかなりわかると思うのですけどね。でも、最近の私はかなりダメです。乱視はコンタクトでは矯正しきれないところが辛いです。
舞台全般については言えば、つくりは、一大娯楽スペクタルとでも言うべきもので、まさに大野君をFeatureするために作られた舞台という感じでした。あれはあれで、良いですけれど、大野君にはもう少しいろんなジャンルをトライしてもらいたいかな、と思っています。
佐藤アツヒロ君という人は、すごく舞台顔の人だし、良い感じで大野君の先輩的にあの役を演じていたと思います。あと、きだつよしさんが、あんなに出るとは思っていなかったなあ。
なんでも、友人情報では、今日の夜の部に、にのみ〜と相葉ちゃんが来ていたんですか?!ええ〜〜ん?相葉ちゃん、見たかったよ〜ん。実は、誰か入ってこないかな、、、と直前まで、超きょろきょろしてたんですけどね。来たのは昼じゃなかったのね。
ということで、まとめると、大野智は、めっちゃ声が良い、ということかな。では、おやすみなさい。
ニノの映画を見るなら、まずは硫黄島だと思っていた。だけど、舞い込んできた誘いがあり、鉄コン筋クリートを観た。
元々、好きな画ではないし、にのが原作の漫画を好きだと言っていたから、きっと自分には合わないだろうと思っていた。だけど、誘ってくれたまちっこさんは、「とても色彩がきれいだからそれだけでも見る価値がある」と言ってくれた。だから、嵐ファンとしてにのが(声の)出演する映画なんだし、見るのは悪くないと思った。
映画は、ちょっとやるせない、親の無い2人の子供の話。ヤクザが出たり殺し屋が出たり、London DogsやLock, stock and two smoking barrelsなんかの、イギリス製のギャングがらみの若者映画を思わせる。だけど、この映画は、なんというのだろう、郷愁をそそる何かがただよっている。というか、意識的に見てる人の深層のどこかにあるはずの「ちょっと昔の街」が演出されていたような気がする。
私は、東京と言う、どでかい街の住宅街に住んでいるので、近くには、こういう街は無い。街と言ったら、新宿とか渋谷だから。だけど、この画に出てくるような猥雑な街が変わっていくのは、なんとなく知っているような気がする。例えば、新宿の高層ビル街とか。あそこは、昔はもっと、庶民的なところだった。確かに街は、そうやって、無機的な、その他大勢的な場所に変わっていく流れに乗っているかもしれない。そういうのもあるし、ちょっと前に栄えたものの栄枯盛衰もある。例えば、あの地球儀の周りにワッカがついたような、巨大な看板というか塔のてっぺん。あれは、ちょっと前の爛熟文化の象徴のような建造物だ。
だけども、郷愁を誘う最大のポイントは、やっぱりあの2人の子供の存在だ。今の東京の私の住んでるような住宅街には、あんなのはいない。あんなのはいないよ。だけど、そういうのがいた時代を知ってるような気がする。なんだかわからないけど、自分とはずいぶん違う境遇の者がいたのを、知っているような気がする。たしかに、小さい頃、いつも半ズボンはいてニコニコしながら歩いているおにいさんが居た。あの人のことは、みんなたぶん、知っていた。そして、あの人はいいのよ、って。そういう人が居たような気がする。だけど、それは、母が話していた、母の子供のころのことだったかもしれない。そう、戦争中に日本軍の飛行機が母の家に墜落してきた日に死んでしまった母の2人の兄の中に、たしか、ちょっと頭が悪かった人が居た、と言っていたような気がする。だけど、あの人にはあの人のいいところがあったし、結構かわいがられていたんだ、と。
あの映画の、というかあの話の主題はどこにあるのか、良くはわからないのだけれど、変わり行く街と、それについていく人、行かれない人、というところにあったのか。ねずみは、大人だからついて行かれない人となり、くろとしろは子供だから、なんとかまだついて行ったということなのか。くろは、ついていくためにイタチになる選択もあったけれど、そうじゃなくて、やっぱりしろに守られて生きていくことを選んだ、ということなのか。それとも、街は、最後に木村の行動によって、変わりきってしまうことを拒み、その結果、まだくろとしろがくろとしろで居られる街として留まったということなのか。
つまり、私はあの作品を、街の変遷というものを、定形外の者達との関係において語っていたのではないかと感じてしまった。定形外のものを、秩序良く排除するのではなく、疎ましく思いながらも、排除することなく、なんとかぎりぎりで折り合いをつけながら、そして、なんらかの意味さえ持たせながら許容していた時代があったんじゃないか。っていうことを、バックボーンにしているのではないのか。あの物乞いのおじいさんにせよ、くろとしろにせよ。そして、きっとねずみすら。(*1)
監督さんのマイケルさんは、外人だし、きっと、私の感じた事とは全く違った意図で製作された可能性がに高い。一方、観るほうの私としては、現在の自分が、過去に対して、または母と比較して、なくしてしまったもののあれこれを考える軸で強く共鳴(*2)が起きてしまったようだ。つまり、マイケルさんが送ってきたたくさんの音色の中で、主軸の音ではないところに、今の私と共鳴する周波数がいたような気がする。それというのも、私の母は長いこと痴呆を患っており、そのため、最近、母の生きてきた人生(*3)について、考える機会が多いからなんだろうと思う。つらつら考えるに、彼女には、私が理解していなかった部分、そもそも、あまり我々に向かって見せなかった部分があって、でも、それは、思い起すに、時々かいま見えていたような気がする。そんな彼女のあまり見えない部分に、この映画の懐かしさが存在しているような気がするのだ。親子関係というのは、微妙なもので、母の記憶というのは、何がしか受け継がれていて、それが、今回のこの映画に対する私の気持ちに大きく影響を与えているようだ。
という強い共鳴(物理学的な意味での。感動した、というのとは少し違う。心のどこかが無理やり振動させられたような感じ)のバックグラウンドの上で、にののことを少し。
にのは、出てくる2人の子供の年かさの方の子の声を演じている。この子は街が抱えている「身寄りが無い」と言う定形外の一人である。同様に身寄りの無い年下の子とともに自力で生きている。つまり、普通の人には想像のつかない苦労を乗り越えている子供だということだ。暴力的になったり、懐疑的になってもおかしくはない。そんな子であっても、性根の部分は暖かいもの、頼りないものがある、というところが、にのの声によってすべて語られている。にのの声は、そんな包容力と可能性を感じさせる声であった。良い声の持ち主だと思う。
私達は、この声を、あの口が悪いにのみ~の声として、良く知っているので、その分ハンディがあるのだが(時々、にのみの顔が浮かんでくる)それでもかなり良いできだった。そういうハンディが無い人には、もっと良かったんではないか。それとも原作を長く愛読している人からすると、少し、声が良すぎると感じるかもしれませんね。あの漫画の顔だけ見ていたら、もっと、ひしゃげた声を想像しそうだから。
それにしても、原作の漫画は、あの音声と動き無くして、いったいどのような世界を繰り広げていたのだろう。そして、それを読んでこの映画を作った人がいた。ということは、やっぱり、そんなムードの漫画なんだろうか。ちょっと読んでみたい、と思っている。
(*1)定形外のもの:それらは、長い間、日本の社会には存在していたと思われ、そんな者達はときに、妖怪という形で現代に名を残している。ざしきわらしや、ぬらりひょんのようなものは、社会が許容していた身寄りの無い人間達だと想像できる。また、ETなどにおいて、異形のものを見つけた子供が親から隠すことを前提に話しが作られているのに対して、藤子ふじおの一連のシリーズ(オバQ、ドラえもん・・・)やウル星やつらなどでは、異形の者がふつうに家族の一員として生活している点は着目に値すると思う。国の形成がUSよりは長い欧州においては、これら異形のものの扱いはどうなっているのか、少し興味がある点である。
(*2)共鳴:物体の持つ固有周波数と同じ周波数の振動を与えると、その物体は、その周波数で振動する。この事を共鳴と呼ぶ。それ以外の周波数ではあまり振動しない。なお、周波数は、倍音関係にある場合、同様の効果があることが多い。電子レンジも実は、一部この理論の応用
(*3)母の生きてきた人生:彼女は押しなべて、幸せな人生を送ったと言えよう。私はサラリーマンのつましい家庭育ちだが、彼女は、商店の娘であり、そのようには見えなかったが、どうやら裕福な家庭で育ったようだ。薬剤師である一方、和裁もできた。晩年は和刺繍や油絵、老夫婦での歴史探訪などを楽しんだ。夫が国家公務員だったため、寡婦となった現在でも特に生活に困ることはない。一方、戦争中に家に飛行機が墜落するという惨事に見舞われたり、姑との確執や、親不孝な子供達から受けるストレスには、こと欠かなかった。
なんか、久しぶりにJUN STYLEを聞いた気がしますが、今日は、最初の挨拶の直後に「ッじゃ~ん」って鳴って、「おお、松潤、今日はBeatles!」と。ええ、私達くらいの世代だと、あの音を聞けば、「a Hard Day's Night」だってことがすぐわかるんです。しかし、その後が、、違う。。。あ、ま、最近は、過去の音をコラージュした曲はあるからなぁ、と思ってますと、Abbey Roadの曲のどこかのフレーズが入っていて、、、うあ~、やっぱりBeatlesってすごい。そしたら、それって、「LOVE」なんだって。そう、これ、1年くらい前にかなり話題になったものだったんですけど、嵐にはまった頃だったので、聴いていなかったんですが、George Martin(BeatlesのProducer)の作品とのことなんで、評判は結構良かったんですよね。そしたら、それって、シルクドソレイユのショー音楽なんですってね。それを松潤はラスベガスでご覧になったそうです。
2曲め、昨日私が立ち寄っていた、とあるロックバーと同名の曲をかけてました。これ、松潤、感動したんだそうですが、ショーに感動したのか、曲に感動したのか。まあ、もともとCDを完全把握するほどこの1年聞いていたというので、きっと曲も相当好きなんでしょう。この曲のよさが分かるところが、松潤が好きなところですよ。私は全般に、Beatlesなら、JohnよりPaul派なんですけれど、Johnの曲でも数曲、とても好きな曲があるんですが、この曲はそんななかの一つです。それに、私は、Beatlesはリアルタイムでは聞いていないのですが、1965年だか66年の時点で、この曲を聴いた人達は、この実験的な仕上がりに、相当にショックを受けたんではなかったかと思います。ま、LOVEのバージョンは、若干違う仕上がりになってるようでしたけれど。(というか、普通のCDになってるバージョンとVocalトラックが違う)
松潤、昨年かなりこのLOVEにはまってたらしいですが、そういうところ、やっぱり彼は音楽の趣味がいいですよね。だけど、今回、やっぱり、松潤、自分と感じ方が近いというのは幻想だったな、と思ったのは、かれがラスベガスを肯定していた点です。あの街はおもしろい、と言ってたかな。私は、あの街は狂ってるとしか思えなくて、ああいうものの存在を容認しているUSがキライ。やっぱ、その点エンターテイナーの松潤とは見方が違うのでしょうね。
でも、松潤、そのあとに、撮影の話をして、あまりに守られているUSの映像業界の人達のことを、やや冷笑的に語ってました。淡々と話していて、例によって、あからさまに「ばかやろ~」的な発言はしないんですけど、日本人スタッフの悲哀に触れていましたね。アメリカってやっぱり、Common Senseみたいなものが信用できないんで、なんでも契約でしばっていて、それを守らないと訴えられるから、まあ、あんなことになるんでしょう。(ここで話をしていたのは、エキストラの人も含めて6時間に一回は食事をさせなければいけなくて、その食事が全員済んでから30分は休憩しなければいけない、そうしないとお金が発生してしまうらしい、という話をしていたのです。そして、そのしばりの無い日本人スタッフは残って作業していた、と)
そして、LOVEのショーを見に行ったそうです。それは、松潤にとっては、完全に記憶していたLOVEのショーであり、時間をなんとか見つけて見に行ったとのことで、非常に感動的だったようです。それは、納得しますね。ベガスはショーを見るところらしいですから。そして、やっぱりコンサートリーダーの彼としては、完全なAudience視点だけでなくて、裏方に目が行くんですねぇ。使ってる機材が、去年のコンサートのMJWalkとか、最後の全員ジャンプみたいのとほぼ同じなんだそうです。なのに、結果が、嵐だとあんなバカみたいなことになるけど、、こっちは、、、。みたいな事を言っていました。さすがの松潤発言ですね。そんな視野がありながらも、相当ショーを楽しんだようで、今日の放送は、LOVE色一色でした。(Step&Goを申し訳程度に1コーラスかけてたけど)
それにしても、やっぱりBeatlesって、曲がいいよなぁ。ほんと、このバンドは、普通の偉大なグループとは何か違う。おそらく、卓越した才能の2人のComposerとそれに刺激を受けた珠玉の1人のComposer。そして、3人のLead Volalistがそれぞれ、特色のある唄を聞かせるにも関わらず、なぜかハモると、完全なハーモニーになる点。(ま、賛否ありますが、私は、PaulのVocal、特にRock'n’Rollを唄っているときのPaulがものすごく好きで、やっぱり、3人の中では一番Paulが好き。=3人、という理由は、Ringoは私のアイドルだから別格なの) それと、楽器なんてなんでもできるはずだし、絶対Georgeよりギターが上手いはずのPaulがベーシストだという点。おかげで、BeatlesのBass lineは結構うたっていて、そこだけ聴いていてもかなり楽しめます。こういう演奏面になると、あとは、Ringoのタイコ。Ringoは、特徴のあるリズムの取り方をするので、あれが、Beatlesサウンドを最終的に色づけている。つまり、Beatlesはリズム隊は、結構好きにやっているので、あの4人は、自分達のリズム隊以外のところで、ちゃんとリズムやテンポを共有していたんじゃないかと思います。
なんて、Beatles話になってしまいましたけど、松潤のおかげで、私、きっと「LOVE」買っちゃうなぁ。Beatlesの曲ってむっちゃ良いもんね。この人達って、60年代の音楽っていう風にくくれない音楽をやっちゃってたんだろうなぁ。。。そう、そこですよね、他のバンドと違うところは。いくらZeppelinがかっこ良くても、あの音は、あまりにも70年代初頭を代表した音楽だもの。ま、昔は、Beatlesなんてきいているとお子様扱いされる、って時代もありましたけどね。
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